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2012年3月26日 (月)

近藤勇、土方歳三が歩いた布田道

3/20は幕末、近藤勇、土方歳三が剣術の出稽古や漢学などを学ぶために町田市小野路の小島家まで通った、布田道(ふだみち)に行って来ました。小野路の谷戸を散策したときに近くに布田道があることを知って、自宅から近いので一度行ってみたいと思っていました。


小野路から汁守神社までのルートです。
(布田道をクリックするとルートの詳細が見れます)

Dscf3423
小野路から布田道に入る道が道路工事をしていて、通り過ぎてしまったのですが持参したakiさんの記事を見て、この道と分かりました。

Dscf3426_2 
この分岐は右側を進みます。

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少し進むと布田道の重要ポイントの「関屋の切り通し」がありました。竹林に囲まれていたのが印象的でした。この付近を鎌倉古道が交差していました。

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長閑な谷戸の風景がありました。

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鎌倉街道の別所を横切って進むと五差路がありましたが左奥の道を進みました。

Dscf3447
この場所で布田道が分からなかったので近くにいた方に道を尋ねました。布田道はこの場所の左の道ですと教えていただきました。

Dscf3448
この道を上って行きました。

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見晴らしのよい場所でした。

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道沿いに三社大権現の案内板がありました。少し入った場所にありました。ここは古墳があった場所だそうです。案内板は英語でSansha Daigongen (ancient holy place)と書かれていました。

Dscf3459
この辺は古道という感じではありませんでした。

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道沿いの突然、フェンスで囲まれた、高さは5m程の金色の観音様がありました。近くにお寺があるわけではないようで何でここにあるのかと思うような謎の観音様でした。

Dscf3467
この交差路は直進しました。

Dscf3468
この道が布田道か分からなくなり、ここで引き返しました。

Dscf3469 
先程の交差路の手前で布田道の案内板があり、この道で正しかったようでした。

Dscf3472
しばらく進むと昔の面影の残る、古道になりました。ここを近藤勇、土方歳三が通ったことを思い浮かべて、通りました。

Dscf3477
ここは布田道の終わりに近い場所です。

Dscf3478
道標には「新撰組 近藤、土方が歩いた道」と記されていました。

Dscf3484
右側が布田道で町田いずみ浄苑フォレストパークの入口に出ました。ここから一般道になり、布田道の終点のようでした。

Dscf3486 
少し進むとT字路がありました。右の道は鶴川街道の真光寺公園の前に出ます。ここは左の道を進みました

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複雑に道が分岐した場所に出ましたが周辺地図の案内板があり、助かりました。

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案内板で毘沙門天堂がすぐ近くであることが分かり、寄りました。ここは明治初期に廃寺となった、金剛寺の跡地です。

Dscf3521
先程の案内板があった場所を右折して、進むと汁守神社の前に出ました。
左の建物はJA セレサモスです。

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汁守神社 府中市にある大國魂神社に供える汁物を調える役目を担ったことから、こう呼ばれるようになったと言われています。


Dscf3532
帰りに真光寺公園で休憩しました。

Dscf3534
自宅の梅が満開になっていたので撮りました。

江戸時代、小野路町から甲州街道の布田を結ぶ、布田道は小野路宿からは甲州街道を経由して江戸に向かう一番の近道でした。布田五宿といって、布田には上石原宿、下石原宿、上布田宿、国領宿の五つの宿場町があり、小野路の宿と布田の宿を結んでいたのが布田道でした。布田道の昔の面影が残っている場所は多くはありませんでしたが近藤勇、土方歳三が通ったことを思い馳せながら通りました。沖田総司が小野路に剣術を教えに来た際に当時流行していた麻疹にかかり、馬に乗せられてこの布田道を通って布田宿に送ってもらったと記されています。布田道沿いにあった、金色の観音様はネットで調べても分かりませんでした。


(2012.03.27 追記)
布田道の道標の写真を追加しました。

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コメント

おお、思い出の「JA セレサモス」
スタンプラリーで、やっと到着したら休みだった。
後日2回目も行った。2番目に遠かった「JA セレサモス」。

あの金色大仏は、僕もネットで調べましたがヒットするところはありませんでした。
こういう古道を仲間と「あっちだ。こっちだ」と言いながら歩くのが楽しいんでしょうね。

トンサン
スタンプラリーの記事を拝見していたので店名を見る前にJA セレサモスとすぐに分かりました。

金色の大仏は観音様ですね。「布田道 観音様」で検索すると数件見つかりました。一番古い記事は2010年4月8日でした。皆さん、不思議と書かれています。

なるほど。皆さんびっくりされていますね。
ここにあるいわれは謎の方がいいのかも。

詳しくは覚えてませんが吉祥寺の方に自転車で行った時に途中で近藤勇の家が調布辺りに有った様な記憶が?
布田道、いや~非常に私好みの道です。
これは近いうちに行かないと♪

またイイとこ走っておられますねぇ。布田道ですか。
鎌倉古道は朱雀道(七国峠)くらいしか走った事ないです。
この辺は歴史とウォーキングが楽しめて年配者に人気ですね。

自分は新撰組はすぐ人を斬っちゃうところが
どうも苦手なのですが、八王子出身の中島登だけは
生き残ったあとのエピソードがかなり笑えて好きです。(~_~)

浜松で質屋を経営し失敗→趣味で当時ブームの葉蘭を栽培。
偶然新種の珍しい模様葉が誕生。「金玉廉」と名づける。
品評会で大評判になり、爆発的な売り上げ。
しかしその親株が馬に食べられ商売をあきらめる。
のちに親子で同じ姉妹と結婚、なぜか息子と義理の兄弟に。
新撰組時代鉄砲相手に苦労して闘ったことを思い出し、
鉄砲火薬売買人の許可を得て中島銃砲店を開き成功。
清水次郎長一家・小政をやっつけ浜松から清水に追い返す。
残した家訓3つ中一番目が質屋、金貸しは孫子の代までするな。

jamさん
昨年、調布の野川公園に行ったときに後から公園近くに近藤勇の生家跡があることを教えていただきました。今度、野川公園に行くときは行ってみようと思います。

途中から布田道を外れるのですが下記のPDFの④里山の獣道はどうでしょうか。
http://www.city.machida.tokyo.jp/community/shimin/katsudou/machibito/machibito201109.files/p12-p13.pdf

dawa3さん
私も七国峠は昨年の12月に行きましたが長い距離が昔の姿で残された貴重な古道ですね。
akiさんの記事を拝見すると「関屋の切り通し」がある周辺の鎌倉古道も行ってみたい場所です。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~aki1025/onoji.htm

馬が親株を食べてしまったため商売終了とは、中島登は波瀾万丈の人生だったのですね。

七国峠の写真探したらありました。
去年2、3回走ってたようで、けっこう好きな場所です。

http://blog-imgs-33-origin.fc2.com/d/a/w/dawa3/007001.jpg
http://blog-imgs-44-origin.fc2.com/d/a/w/dawa3/IMG_0854.jpg

写真をありがとうございます。記事も拝見しました。

私の記事の⑥の場所(写真・動画)は眺めが素晴らしい場所ですね。
http://linka100.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-6c02.html

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