明治三陸地震&追分市民の森
明治三陸地震
東日本を襲った大地震が「1000年に1度」の揺れだったとの報道がありますが100年位前に津波で甚大な被害をもたらした、明治三陸地震が起きています。明治三陸地震は、1896年(明治29年)6月15日に発生した、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200kmを震源とする地震でM8.2~8.5という巨大地震でした。震度は3でしたが地震後の津波が本州観測史上最高の波高38.2mを記録するなど津波被害が甚大でした。死者 2万1915名、行方不明者 44名、負傷者 4398名が記録されています。過去にこのような大震災がありましたが福島第1原発は100年の1度の大津波も想定していなかったのです。原発の安全政策のゼロベースでの検討が望まれます。
既に報道されていますが福島第1原発を設計した東芝の元技術者、小倉志郎さんは、東京の外国特派員協会で記者会見し「1967年の1号機着工時は、米国ゼネラルエレクトリック社(GE)の設計をそのままコピーしたので、津波を全く想定していなかった」と明かしています。また、2号機からはGEの設計図を改良したが、「マグニチュード8以上の地震は起きない、と社内で言われた。私の定年が近くなってやっと、地震対策の見直しをしたが、それでも大地震は想定しなかった。責任を感じる」と述べています。そして、福島第1原発は最高5.7mの津波しか想定しないで稼動していました。今回の大震災の津波の高さは14mとされていますので起こるべくして起きた事態だと思います。
追分市民の森
昨日は横浜市旭区にある追分市民の森に自転車で行ってきました。ここ数年は毎年、菜の花を見に行っていて、開花情報のサイトでは「満開から散り始めで、まだ見頃。」でしたので出かけました。また、午前中に自転車が4300キロ走行したのでチェーンを交換してもらったので具合を確認したかったこともありました。
境川サイクリングロードの鶴間橋手前です。この近くに親戚の家がありますが計画停電しないそうです。
(全ての画像はクリックで拡大します)
鶴間橋の下流600m地点のアーチ型給水官がある辺りからの通行止めは未だ続いていました。工事期間を確認すると平成22年7月1日から平成23年4月25日まででした。
境川サイクリングロードから旧16号線に入り、上川井交番前を右折して、この程ヶ谷カントリー倶楽部の入口を左折します。
ここを右折して、300m程進んだところが追分市民の森です。ここからでも一面に咲いた菜の花を見ることができます。左の高架は保土ヶ谷バイパスです。
追分市民の森に行く途中にお花畑の作付け表がありました。
菜の花畑は見頃で綺麗に咲いていました。毎年、来ていますが一面に咲く、菜の花は感動します。
満開を少し過ぎた感じでしたが十分に見応えがありました。
この日は気温が9度位でかなり寒かったです。
残念ですが今年は何時もの年よりもかなり菜の花の咲いている面積が縮小されていました。咲いていない場所の畑の土も耕されいましたので何故、縮小されたのか分かりません。
梅は見頃を過ぎていましたがそこそこ見れました。
菜の花独特の香りはしませんでした。
この日は「菜の花を楽しむ会」のイベントが予定されていたようですが中止の張り紙がありました。仕方のないことですが各地の桜まつりも軒並み中止になっています。
花桃が咲き始めていました。私はこのピンクと黄色の組み合わせが好きです。
この日は薄暗かったのであまり鮮明に花びらを撮れませんでした。花桃は咲き始めでした。
花桃の咲いている場所は菜の花畑に面した道路の反対側です。今年は花桃の咲く場所にも菜の花が咲いていました。
追分市民の森は町田から自転車で1時間少しの場所ですので午後から、花見にちょっと行くにはいい場所です。この日はそこそこの人が訪れていました。追分市民の森に着いたときに丁度パトカーが来ていました。横で通報された方の話を聞いているとはっきり聞き取れなかったのですが菜の花を無断で持ち帰った方がいたようでした。交換した自転車のチェーンですが静粛仕様でしたので音が小さくなったのが実感でき、走行が軽くなったように感じがしました。
走行距離 34.36km
追分市民の森
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少ないとはいえ、これだけまとまって咲いている菜の花は見事ですねぇ。
ここは昔、子供が小さい頃に来たような・・・確かひまわりがいっぱい咲いていた記憶があります。
投稿: トンサン | 2011年3月29日 (火) 02時21分
トンサン
私は菜の花しか見たことがないのですが季節により、ひまわり、コスモスが咲くようです。
投稿: linka | 2011年3月29日 (火) 19時15分